森喜朗の本音と建前 東京ポッド許可局「公の言葉」 考
学生の頃、「どうして森さんのようなガッハッハ親父が総理大臣みたいな大事な職に付けるんだろう。大人はバカなのか?」と思ったものだ。
大人になって、森さんに強力なバックがいることを知り、「結局そういうコネとかツテとかを料亭とかでこねくり回すことで政治ってのは回ってんだな」とか何とか、思った記憶がある。ある種の諦観を持って、ネ。
んで、今回の東京ポッド許可局「公の言葉論」を聞いて、目から鱗が落ちた。確かに、森さんは飲み会では最強だろう。
森喜朗の「人たらし」さは、実に凄まじい。経歴だけ綴っても、「どうして?」と思うようなコネクションを瞬く間に作っている。人の良さだけでコネクションは作れないが、人の良さが無いと作れないのがコネとかツテだ。
そうして、森さんは登りつめた。そしたら、時代は変わっていた。
なかなか壮大な戯曲だ。ユーモアとボケが混じった、許可局らしい良い回だったと思う。
この森さんの話、我々も他人事じゃないと思う。
オレ自身もこの前経験して反省しているが、ツイッターで簡単に考え足らずのことを発言し、誰かを不快にさせることなんざ、今の世なら茶飯事だ。
これを大きくしていけば、森さんの失言になる。本音と建前を、他人がゼロから判断する時代なのだ。
肝に銘じながら、ブログやらツイッターやらをやらねばならぬ。自由でありながらどこまでも窮屈ですな、人間てぇのは。
あと、今週もハガキが読まれて嬉しかった。