立川志らく 『落語進化論』
賛否のはっきりした落語家の印象がある立川志らく。
実力はあるとは思うが、生意気で鼻につく感じがあるのは間違いない。
自分は立川談志の落語には心酔する部分があるので彼の行動にはある程度の理解はあるし、彼のする落語について好きか嫌いかでいえば好きだ。
しかし同時に、談志の嫌なところも受け継いでいるようで残念でならないところもある。
談志はすごい。自分に言われるまでもなくすごい。そして志らくがそれに心酔し、目指していることも分かる。談志の生き方、出で立ち、舞台での仕草は格好いい。
けれど、だからといって、嫌われ方、喧嘩の仕方まで真似ることはあるまい。わざとだと思うけれど、反感を持たれることを知っていて書くのは大人ではない。落語家だからそれでいいのかもしれないが。
また、こういう著書を書いているうちには談志にはなれないし越えられない。談志は立川流の・イリュージョンのパイオニアだ。現代に合うように古典を分析し、解剖して、途中なり下げを大胆に論理的に工夫した、現代でも稀有な開拓者だ。しかし、そういう功績を志らくはまだ残していない。したがって、真似の域を出ていない。オリジナリティを出せ、というのも談志の意思だが、それを忠実に遂行しているうちは真のオリジナリティではない。
著書の内容も談志の思想の焼き写しだ。タイトルからして現代落語論へのオマージュだろうし、内容も談志のそれ以上のことは書かれていない。
ここまで辛辣なことを書いたけれど、談志はもうこの世にはいないし、自分自身、立川の落語は大好きである。志ら乃の落語も気に入る部分は多い。
期待も込めて、志らくには是非、談志を超える何かを残して、聞かせて、読ませて欲しい。
文章を書いて、落語について語って、イリュージョンを志しているうちは、談志の弟子としてしか語られないと思う。