写楽斎ジョニー脳内会議録

写楽斎ジョニーの思考の軌跡です。落語・アニメ・映画あたりを粛々と語ってまいります。

ゴールデンタイム最終回

最終回だった。何だかんだと24回見切ってしまった。

 正直、俺くらいの勘違い野郎からすると、違和感が沢山ある。多分、リアルに届く人には届くんだろうけど、でも、何だか違和感が残る。

 

リンダは、最後までそれでよかったのか。とらドラみのりんは戦ったぞ。リンダは、戦わなかった。戦ったけど、己と戦って、それで終わった。これが大学生と高校生の差か。もっとみっともないところを見せてくれないと、納得出来ない。

 

二次元くん、最後までいい人だったけど、すごく俺は不機嫌になった。だって、オタクにいい役回りやらせるのって、すごく贖罪的だと思うから。最後で二次元くんにウルッとこさせるような役を与えることは、すごく残酷で思いやりのないことだと思った。

 

なな先輩。あまりにステレオタイプすぎる。怖いけど、いい人。そんなん逆にテンプレだわ。二次元くんもそうだけど、全然意外性がなくて、それが面白くもない。

 

記憶喪失とか、記憶障害とか、そういうの一時期流行ったけど(私の頭の中の消しゴムとか)、それの真似で終始したような印象がある。とらドラ!の竹宮先生なら、もっとやれたと思うんだ。

寿限無 考

子ほめをかけた。話は飛び飛び、リズムは走っちゃって、もうてんやわんや。お耳汚しもいいところだけど、楽しかった。やはり、聴くと演るとでは大違い。精進すべき、と肌で感じただけでも儲けモン。また演りたい。

 

さて、とりあえず子ほめは置いておいて、次は何をってぇ考えると、寿限無にしようかと思う。前座話だが、親の愛情をうんと膨らませて、親馬鹿ぷりをふんだんに盛り込んでかけようと思う。

 

立川談志ひとり会 落語CD全集 第23集「談志の五大落語家論」「寿限無」
 

 

このサイト(http://d.hatena.ne.jp/R-HAJIME/20080103)の話をもとに、膨らませてみたい。

 

昔から、

『かくばかり いつわり多き 世の中に 子の可愛さは 誠なりけり』

なんて申しまして。子どもてぇのは本当に可愛いですな。

子どもを可愛いと思うのはいつの世も同じなようでして…

 

「元気な子が生まれてよかったな。どうでえ,小せえくせに手の指も足の指も,ちゃんと五本ずつそろってやがらぁ。生意気に」

「生意気じゃないよ。当たり前じゃないのさあ」

「あらッ。おい,おっかあ,動いたぜ」

「そりゃあ動くわよぉ」

「けど,どうしてこう赤い顔をしてるんだろうなァ。めでてェからって,一ぱい呑んで来たのかしら」

「ばかなことをおいいでないよ。赤いから赤ん坊っていうんだよ」

「なるほど,ちげえねえ。それにしても,おっかぁばかりに愛想しやがって,ちょっとくらい俺にも挨拶がありそうなもんじゃねえか。“おとっつぁん,こんにちは。末永くよろしくお願ぇ申します”とか何とか」

 「あきれたねえ。まだ生まれたばかりだよ」

 「そうだなぁ。で、こいつはいつになったら歩くんだ」

 「そんなすぐ歩いたら化け物だよ。じゃあ,そろそろこの子にお乳をやるかね」

「なんでぇ、お前ばっかり何かやってら。俺のすることがねえじゃねえか」

 「それが,お前さんじゃなきゃいけないことがあるよ。今日はこの子のお七夜だよ」

 「おい、そりゃあいけねぇよ。いくらうちが貧乏でも、産まれたばかりのガキを質に入れるなんざ…」

「質じゃないよ。赤ん坊を質屋に連れて行く人もないもんだよ。生まれて七日目だからお七夜じゃないかさ」

 「ああ,初七日か」

 「それは亡くなって七日目だろ、もう。今日はこの子に名前もつけないといけない日だよぉ」

 「そうか,名前か。」

「そうさね。うんといい名をつけておくれ」

 「男だから強い名前じゃないとな。龍とか虎とか」

 「それもいいけど,ありきたりだねえ」

 「じゃあ,象とかヤマタノオロチとか」

 「もう少し人間らしくしておくれよ」

 「龍馬とか清正公(せいしょこ)とか」

 「英雄になっちゃったね」

 「ちぇッ。人のあげ足ばかりとってやがら。お前はどんな名前がいいんだよ」

 「あたしは,いい男になってもらうように,華やかな名前がいいねえ。海老蔵とか幸四郎とか」

 「役者じゃねえか。なにかいい名前の出物はねえかなあ」

 「どうだい,檀家で名前をつけてもらうと長生きするっていうよ。お寺へ行って,お坊さんに考えてもらったら」

 「ふざけるない。寺の坊主は長生きする者はお客にならねえからって,ろくな名前をつけるもんか」

 「そうでないさ。凶は吉にかえるっていうよ。あべこべでいいんじゃないかね」

「そうかい、まぁ、こういうのはお前の方が大体正しいからなぁ。じゃあ,行ってきようか……ええと。お,ここだ。ごめんよォ」

 「これはこれは。たいそうお早いご仏参で」

 「墓参りじゃねえんですよ和尚さん」

 「ああさようですか。なにか改まったご用でも」

 「いえェ,このたびはおめでとうございます。」

 「なんです?」

 「いや、ガキが産まれましてね」

 「なに,ご家内が安産なすったか」

 「アンザン?まぁ、あいつでも二桁くらいなら何とか。」

「その暗算ではないよ。とにかく、おめでとうございます」

 「ええ、どうも。んで、今日は七夜で名前をつけるんだがね。かかあの言うには,寺の坊主にでもつけてもらおうと」

 「ははは,これは愚僧,たいそうなお見立てにあずかりましたな。委細承知しました」

 「頼んます。いつまでも死なねえ証文つきの名前を見つくろってくださいな」

 「証文といいますが,生あるものは必ず死ぬ。これを仏説では“生者必滅会者定離”と申します。なれど親の情として子の長寿を祈るというは無理からぬこと。どうです,鶴は千年といってめでたいが,鶴太郎とか鶴之助というのは」

 「何だかツルツルってハゲそうだなぁ。それに千年じゃあ,千年たったら死んじまうからなァ。もっと長いのはありませんか」

 「千年じゃ不足かな。では亀は万年というから亀の字を取ってみましょうか」

 「亀はだめだ。あいつら、頭をちょいと触ると首を引っ込めちまう。打たれ弱くっていけねぇ」

 「そうですかな。まぁ、あなたがお嫌なら仕方ない。では,松はいかがですかな」

 「松はいかねえ。おらぁ、待つのは大嫌いだ」

「竹はどうです」

 「たけの子は頭を出すと,みんな食べられちまいますからね。」

 「うーん、松竹梅といって、梅も縁起がいいとされる」

 「いけない,いけない。産めだの何だのって、女に命令する男は嫌われる世の中ですよ。政治家だって失脚しちゃう」

 「そういちいち理屈をつけられては困りますな。では,経文の中には有難い言葉がたくさんあるが,お経から探してみますかな」

 「お経でも何でも,長生きしてくれればいいよ」

 「無量寿経(むりょうじゅきょう)という経文がある。この中にある言葉で寿限無というのはどうじゃな」

 「何です。そのジュゲムってのは」

 「寿(よわい)限り無しと書いて寿限無。つまり死ぬことがないという意味です」

 「それそれ。そういうのがいいんだ。それを一つ。他にもありますか」

 「長い経典ですから,いくらでもあります。五劫の摺り切れというのはどうじゃ」

 「なんすかその、ごぼうのお浸しってぇのは」

 「五劫の擦り切れじゃ。三千年に一度ずつ,天人が下界へ来て衣で岩をなでる。それで岩が擦り切れてなくなってしまったら,これが一劫。それが五劫というから億万年にもなります」

 「しめしめ,それもいいね。まだありますか」

 「海砂利水魚というのはいかがですかな」

 「なんですえ。それは」

 「海砂利は海の砂利だ。水魚は水に棲む魚。とてもとても獲り尽くせないのでめでたいな」

 「なるほど海砂利水魚はいいね。他には」

 「水行末,雲行末,風来末などというのがある」

 「なんのこってす」

 「水の行く先,雲の行く先,風の行く先。いずれも果てしがないことじゃ」

 「もらった」

 「人間,衣食住は外せないから,食う寝る所に住む所とはいかがじゃ」

 「そりゃそうだ。これは外せないね。もうありませんか」

 「ヤブラコウジのブラコウジなどは」

 「そうブラブラってぇと怠けもんになりませんか?」

 「そんなことはない。藪柑子という木はまことに強いもので,春には若葉,夏には花咲き,秋に実を結ぶ。冬は赤き色をそえて霜をしのぐ,強くてめでたい木じゃ」

 「ははぁ,聞いてみなくちゃわからねえね」

 「ついでだから話をしますがな,昔,唐土(もろこし)にパイポという国があって,そこにシューリンガンという王様とグーリンダイというお后がいた。あいだにポンポコピーポンポコナーという姫が生まれて,この二人はとても長寿だったそうな」

「へえ,外国のめでたいのを入れちまうなんてのもいいな」

「日本の名前だと、長久(チョウキュウ),長命とは文字どおり長生きじゃ。二つ合わせて長久命というのはどうだな」

「うん,うん」

「男の子なら,月並みだが長助という名前もよい。長く助ける」

「わかりました。すみませんがねえ,さっきからの名前をみんな,紙に書いてくれませんかね」

 「はいはい。書いて進ぜましょう。ああ,カナで。はい……それでは,この内から良いのをお取りなさい」

 「ありがとうございます。なるほど。初めが寿限無だ。寿限無寿限無,五劫の摺り切れ。海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所。ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助か。ううん。どれをつけても,後でやっぱりこっちにすりゃ良かったってことになるとつまらねえ。和尚さん,面倒くせえからみんなつけちまうよ」

 

 てんで、やっこさん、みんな付けてしまいます。 

 この寿限無という子が、親の気持ちを知ってか知らずか、すくすくと育ちまして

 

「おーい,寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助くーん。入学式に行こう」

「まぁまぁ、おはよう、竹さんとこのシンちゃん。申し訳ないけど、うちの寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助はまだ寝てるから。すぐ起こしますからね。ほらほら,寿限無寿限無,五劫の摺り切れ,海砂利水魚の水行末,雲行末,風来末,食う寝る所に住む所,ヤブラコウジのブラコウジ,パイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長助や,シンちゃんが呼びに来てくれたよ。」

「おばさんッ,もう終業式だよぉ」 

 

ね、いい話だよなぁ。

下げは色々あって、名前のせいでコブが引っ込んだり、選挙に落っこちたり、溺れ死んだりするのもあるが、まぁ、ここはサラッと終わるのが、一番粋だと思うなぁ。

聖なる怠け者の冒険 考

待ちに待った森見登美彦氏の最新作。

作家生活10周年の記念作ということに特別の思い入れもなく、いつもどおり期待していた。

 

聖なる怠け者の冒険

聖なる怠け者の冒険

 

平日は淡々と仕事をし、週末はとことん怠ける。そんな主人公が奇想天外の事件に巻き込まれつつも、いつもどおり怠惰に過ごしていたら事件が解決していた、みたいな話。

 

舞台は京都。やはり森見さんの物語は京都に尽きる。『ペンギン・ハイウェイ』はオレ的にはイマイチだった。ちなみに『恋文の技術』は京都じゃないけど最高だった。

 

キャラクターがキビキビ動き、そのキャラクター各自の度を越した個性が摩訶不思議な空間を創りだし、そこに漂っているうちに「これは壮大な詭弁であり、森見氏にケムにまかれているだけだ」と気づいたら文章が終わっている。そんな物語。

 

今までの本と比べると、少し通底するテーマが弱いかもしれない。

『夜は短し』ではレンアイ、『四畳半』では可能性、『太陽の塔』では大学生、『有頂天家族』ではベタ、だったであろうと勝手に思っている、作品に通底するもの。つまりテーマが、今回の『聖なる~』では分かりづらい。

 

新しいキャラクターが多く出過ぎたか。森見さんの作品の良い所の一つに、人間関係が複雑すぎない、むしろシンプルであればシンプルであるほどよい、と思っているフシが感じられるところ、というのがある。今回は各キャラクターの個性が愛すべきレベルに達する前に事件が進んでいたような感覚がある。

 

関連して。クライマックスでのカタルシスが若干弱い。有頂天家族や太陽の塔でのカタルシスは、筆舌に尽くしがたいレベルであった。しかし、今回は積み上がったものが弱い。これは主人公が「強すぎる」からかもしれない。

 

森見さんの主人公は今まで、得てして弱かった。プライドは高いが、どこかコンプレックスをわかりやすいほど持っていて、それが愛すべき人間性として、すぐに読者は感情移入が出来た。

今回の主人公・小和田君は強い。鉄壁の意思がある。「怠けたい」という鉄壁の意思が。途中に出来心から厄介事に巻き込まれてしまう場面もあるが、これはあくまで「出来心」。最後まで思想的敗北は喫さない。

 

もう一度くらい読みたいと思うが、すこし残念な最新作であった。有頂天家族の続編に期待したい。

Exit Through the Gift Shop 考

基本的にこういう芸術系の人たちとは反りが合わないと思い込んでいるのだが、こういうふうに切り取ってくれれば腐れサブカル野郎のオレにも辛うじて分かる。

 

 

イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ [DVD]

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 古着屋の店長がノリでカメラ回しまくって公共物に絵を描くワナビー野郎たちを撮りまくった、みたいな様を、すげー才能あるバンクシーという男が逆に撮ったという話。

 

 公共物に絵を描くということ自体に、いまいち乗り切れないオレはまずそっから引っかかる。「公共のものにこういう事しちゃイカン!」とばかり思うわけじゃないが、何か描くことはそんなに偉いことではない。

 

 こういう現代アートとかって破壊的な芸術に終始するところがあって、少なくとも作中では、アンディ・ウォーホルから逃れられていないように見受けられた。それじゃあそれ以上の発展はない。かつて、談志のことを語るしか、志らくが落語を語れなかったように。

 

 ウォーホルを否定ではなく、超越しろ、話はそこからだ。なあんてね。「談志を超えろ」ってくらい、無理なことだね。難しいもんだ、芸術ってぇのは。

森喜朗の本音と建前 東京ポッド許可局「公の言葉」 考

 学生の頃、「どうして森さんのようなガッハッハ親父が総理大臣みたいな大事な職に付けるんだろう。大人はバカなのか?」と思ったものだ。

 

私の履歴書 森喜朗回顧録

私の履歴書 森喜朗回顧録

 

 

 大人になって、森さんに強力なバックがいることを知り、「結局そういうコネとかツテとかを料亭とかでこねくり回すことで政治ってのは回ってんだな」とか何とか、思った記憶がある。ある種の諦観を持って、ネ。

 

 んで、今回の東京ポッド許可局「公の言葉論」を聞いて、目から鱗が落ちた。確かに、森さんは飲み会では最強だろう。

 

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

東京ポッド許可局 ?文系芸人が行間を、裏を、未来を読む?

 

 

 森喜朗の「人たらし」さは、実に凄まじい。経歴だけ綴っても、「どうして?」と思うようなコネクションを瞬く間に作っている。人の良さだけでコネクションは作れないが、人の良さが無いと作れないのがコネとかツテだ。

 

 そうして、森さんは登りつめた。そしたら、時代は変わっていた。

 なかなか壮大な戯曲だ。ユーモアとボケが混じった、許可局らしい良い回だったと思う。

 

 この森さんの話、我々も他人事じゃないと思う。

 オレ自身もこの前経験して反省しているが、ツイッターで簡単に考え足らずのことを発言し、誰かを不快にさせることなんざ、今の世なら茶飯事だ。

 これを大きくしていけば、森さんの失言になる。本音と建前を、他人がゼロから判断する時代なのだ。

 肝に銘じながら、ブログやらツイッターやらをやらねばならぬ。自由でありながらどこまでも窮屈ですな、人間てぇのは。

 

 あと、今週もハガキが読まれて嬉しかった。

おおかみこどもの雨と雪 考

 細田守監督作品の中でも、筆頭の価値のある作品だと思う。 改めて観て、雑感など。

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

 

  通算で2回しか観ていないので、本当にざっくりとした感想だが。

 

 まず、何と言っても終わり方の秀逸さよ。

 最初は「え、ここで?」と思い、次第に「なるほどなぁ」と思い、時間をおいて二度目みたときは「やっぱりそうだよなぁ」になる。そうだよ、これで、この終わり方で、いいんだ。

 

 雨は狼になり、雪は人間になる。それでいい。そこに大きなドラマはなく、むしろそこから一歩置いた存在として、花は生きる。花は立派に二人を、人間として狼として育て、その後のことは親がとやかく言うべきことじゃない。

 

 一回目に見た時と二回目に見た時との間に、自分自身の出産・育児を経験すると、それが身につまされる気持ちになる。こっちがどんな気持ちでいようと、子どもは子どもの生きたいようにしか生きないし、そうあるべきだと思う。

 だからこそ、親は育つ様を見守ることで正解だし、この映画はそこで終わって良い。

 

 人?狼?というファンシーな存在を前提とした物語だからこそ、最期に横行なカタルシスを用意することなく、終わる。脚本は奥寺佐渡子氏。素晴らしいです。

 

 アニメの良さについて語ろうと思ったけど、脚本、というか終わり方一つで万感の思いになったのでまた稿を改めたい。